マスターファイル移転価格と関税評価の通関実務上の注意点

移転価格文書「マスターファイル」は国税庁向けの手続きと思っていませんか?実は関税評価・通関申告にも直結するリスクがあります。通関業従事者が知っておくべき実務ポイントを解説します。

マスターファイルと移転価格が通関実務に与える影響と対応

移転価格調整金を支払っても税関への修正申告を忘れると追徴税額が9億円を超えることもあります。


この記事の3ポイント要約
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マスターファイルとは何か

連結総収入1,000億円以上の多国籍企業グループに提出が義務づけられた移転価格文書。国税庁だけでなく、関税評価にも波及する情報を含む。

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通関業者が見落としがちなリスク

移転価格調整金の支払い後、税関への修正申告を怠ると過少申告加算税が発生。過去事例では追徴税額が9億5,021万円に達したケースも。

実務上の対応策

移転価格調整が発生する取引では、輸入申告時から関税評価との整合性を確認し、継続的な調整には包括評価申請の活用が有効。


マスターファイルとは何か:移転価格文書の三層構造を理解する

移転価格文書化制度は、2016年(平成28年)の税制改正で大きく再整備されました。OECDのBEPS行動13(税源浸食と利益移転への対処)に基づき、日本でも「三層構造アプローチ」が正式に導入されています。この三層構造とは、①国別報告事項(CbCレポート)、②事業概況報告事項(マスターファイル)、③ローカルファイルの3種類の文書から構成されます。


三層構造が基本です。


それぞれの役割は明確に異なります。CbCレポートは国別の収益・税額・従業員数などの財務指標を開示するもので、各国税務当局間での情報共有を目的としています。ローカルファイルは個々の国外関連取引の詳細(取引金額・算定方法・比較対象分析など)を記載します。そして、マスターファイルは、この両者を「上位で束ねる」位置づけで、多国籍企業グループ全体のグローバル事業の全体像と移転価格ポリシーを俯瞰的に記載した文書です。


具体的にマスターファイルに記載される主な内容は次のとおりです。



  • 多国籍企業グループの構成会社の名称・住所・所有関係図(グループ系統図)

  • 主要5種類の商品等のサプライチェーンの概要

  • グループ内の役務提供に関する重要な取り決めの一覧と概要

  • 各構成会社が果たす機能・負担するリスクの概要

  • グループ内の無形資産(特許・ブランドなど)の保有・使用戦略の概要

  • グループの資金調達方法の概要と中心的な金融機能を担う会社の名称

  • グループ全体の連結財務諸表

  • 居住地国を異にする構成会社間の取引価格の算定方法


ローカルファイルが「個別の取引の詳細」を記載するのに対し、マスターファイルは「グループ全体のビジネスモデルとポリシーの全体像」を記載するものです。つまり、税務当局はマスターファイルを入口として「どのグループ内取引が移転価格リスクを持つか」を目利きし、そのうえでローカルファイルや実地調査に進む、という活用の流れが想定されています。


提出義務があるのは、直前会計年度の連結総収入金額が1,000億円以上の多国籍企業グループの構成会社等である内国法人または恒久的施設を有する外国法人です。提出義務のある法人が複数存在する場合は、いずれか1社が代表して提出することができ、通常は最終親会社(究極の親会社)がその役割を担います。代表法人は所轄税務署への届け出が必要です。


提出期限は最終親会社の会計年度終了日の翌日から1年以内で、e-Tax(多国籍企業情報の報告コーナー)から提出します。使用言語は日本語または英語ですが、英語で提出した場合は必要に応じて日本語翻訳文の追加提出を求められることもあります。


正当な理由なく期限内に提出しなかった場合は、30万円以下の罰金が科せられます。金額だけ見ると軽微に思えますが、提出義務の不履行が発覚すれば税務調査の端緒になりかねないため、実質的なリスクははるかに大きいと言えます。


参考:移転価格税制に係る文書化制度の改正概要(国税庁
国税庁「移転価格税制に係る文書化制度に関する改正のあらまし」(PDF)


移転価格と関税評価の交錯:通関業従事者が知っておくべき根本的な違い

多くの通関業従事者が「移転価格は国税庁(法人税)の話で、税関(関税)とは別の話」と認識しているかもしれません。しかし、これは大きな落とし穴になります。移転価格税制と関税評価制度は、どちらも「関連会社間の取引価格が適正か」を問うという点で共通しており、実務上は複雑に交錯します。


交錯する点が重要です。


まず、両制度の着眼点の違いを整理しておく必要があります。

































項目 移転価格税制(国税庁) 関税評価制度(税関)
管轄当局 国税庁(税務署) 財務省(税関)
着眼点 法人全体の利益水準の適切さ 個々の輸入貨物の取引価格の妥当性
算定単位 法人レベル・取引種類レベル 輸入1件ごとの個別貨物レベル
独立企業間価格の基準 共通の概念を使用
算定方法の受け入れ度 TNMMなど間接的な方法も有効 TNMMだけでは不十分な場合あり


この違いを理解するうえで極めて重要なのが、移転価格税制で多用される「取引単位営業利益法(TNMM)」の問題です。TNMMは法人全体の営業利益率が第三者比較対象と近似していることをもって価格の妥当性を検証する方法ですが、税関の観点からは「法人全体として利益率が適切でも、特定貨物の輸入価格が適切かどうかはまた別の話」として、不十分と判断されることがあります。


意外ですね。


さらに、マスターファイルそのものが関税リスクを高める可能性があります。従来、税関当局は輸入申告書・インボイスなど輸入国で入手できるデータを主な情報源としていたため、輸入国外で行われるロイヤルティや役務提供取引は見えにくいものでした。しかし、マスターファイルにはグループ内のロイヤルティ・手数料・役務提供取引の概要が記載されるため、これが税関当局に共有される(あるいは何らかの形で参照される)ことで、従来は課税対象外とされてきた費用項目について関税評価額への加算を指摘されるリスクが生じます。「ガラス張りリスク」と呼ばれる現象です。


参考:BEPSと関税の関係(EY Japan)
EY Japan「BEPSと関税の関係」(情報センサー2016年7月号)


移転価格調整金と関税修正申告:通関業者が直面する実務リスク

ここが通関業従事者にとって最も直接的に関係する実務上のポイントです。移転価格税制の観点から、関連会社間の取引価格が独立企業間価格(非関連者間で通常成立する取引価格)を確保できていないと判断された場合、年度末等に遡及して取引価格を修正する「移転価格調整」が行われることがあります。


具体的には、輸入者である日本の親会社が、輸出者である海外関連会社に対して「価格調整金」を追加支払いするケースが代表的です。ここで問題になるのが、この価格調整金が関税評価上どのように扱われるかです。


日本の輸入企業が海外の関連会社に移転価格調整金を支払うほとんどの場合、その調整金は「該当年度の税関輸入申告価格を構成する価格」とみなされます。つまり、当初の輸入申告価格が本来より低かった、すなわち課税価格が過少申告だったことになるのです。


過少申告は修正申告が必要です。


この修正申告を怠った場合、税関事後調査等のタイミングで過少申告加算税が課される可能性があります。税関から調査通知を受けた後に修正申告した場合は増加税額の5%、更正予知前でも通知後であれば5%、税関調査で更正を受けた場合は原則10%の過少申告加算税が課されます。さらに延滞税も加わりますので、長期間放置すればするほど負担が膨らみます。


財務省の公表(2019年次)によると、実際に多額の申告漏れがあった事例として次のようなケースが紹介されています。



  • 輸入者Dは、X国の輸出者から医薬品原薬を輸入していました

  • 輸出者との取り決めに基づき、過去輸入した貨物について遡及して価格を見直し、増額分を価格調整金として支払っていました

  • 本来この価格調整金は課税価格に含めるべきものでしたが、修正申告を行っていませんでした

  • 結果、申告漏れ課税価格は104億2,225万円、追徴税額は9億5,021万円に達しました


これは氷山の一角に過ぎず、類似の事案が全国の税関で繰り返されています。通関業者として依頼人の輸入取引を代行する立場にある場合、移転価格調整の動きを把握していないと、依頼人が知らないうちに課税リスクを抱えている状況に加担してしまう危険性があります。


参考:遡及的な移転価格調整の取扱いと関税修正申告(PwC Japan)
PwC Japan「関税の観点に基づく遡及的な移転価格調整の取扱いと留意点」(2024年9月)


マスターファイルの「ガラス張りリスク」と通関業者が取るべき実務対応

マスターファイルが作成・提出されることで、グループ内取引の全体像が税務当局に可視化されます。これは法人税の移転価格調査だけでなく、間接税(関税・輸入消費税)の観点でも「ガラス張り」になるという意味を持ちます。


特に注意が必要なのは、次のような取引が輸入申告価格に含まれているかどうかです。



  • 🔍 ロイヤルティ・使用料:輸入貨物の製造・販売に関連するロイヤルティや特許使用料は、一定の条件下で課税価格に加算する必要があります。マスターファイルにこれらの取引が記載されることで、税関が「このロイヤルティは加算すべきでは?」と気づくトリガーになりえます。

  • 🔍 グループ内役務提供料:親会社や関連会社から受けるマーケティング支援・経営管理支援などのサービス費用が輸入貨物と関連する場合も、課税価格加算の対象となりえます。

  • 🔍 遡及的な価格調整金:上述のとおり、年度末の移転価格調整による差額支払いは修正申告の対象になるケースが多いです。


実務上の問題として、修正申告は輸入1件1件を個別に行わなければならないという点があります。例えば、1年間に数百件の輸入を行っている企業が遡及的な価格調整を行った場合、理論上は数百件の修正申告が必要になります。これは通関業者にとって非常に大きな作業負担です。


この問題を解消する手段として、「包括評価申請」制度があります。同一の取引当事者との継続的な輸入取引において、移転価格調整金相当額を事前に課税価格に織り込む形で包括的に評価申告を行う仕組みです。将来的な修正申告の手間を大幅に省略できるため、移転価格調整が継続的に発生する取引に関与している通関業者は、依頼人に対してこの制度の活用を案内することが実務上有益です。


これは使えそうです。


さらに一歩踏み込んだ独自の対応視点として、「依頼人のグループ取引情報の収集フロー」を通関業務の受託時に整備しておくことが挙げられます。具体的には、輸入申告依頼を受ける際に「関連会社間の取引か否か」「年度末に移転価格調整が行われる契約になっているか」などを確認する質問票を設けておくことで、リスク案件を早期に把握できます。これは今後の通関業者の付加価値業務として、特に国際物流を扱う大規模輸入者向けに差別化ポイントになりえます。


参考:移転価格調整対応(関税評価)の実務サービス紹介
SK Advisory「移転価格調整対応(関税評価)」


移転価格ポリシーとサプライチェーン変更が通関申告に影響するケース

移転価格の問題が通関に影響するのは、遡及的な価格調整だけではありません。グループ全体の移転価格ポリシーの変更や、事業再編に伴うサプライチェーンの構造変更も、輸入申告価格に直接影響します。


マスターファイルにはグループの移転価格ポリシー(グループ全体で統一された価格設定の基本方針)が記載されます。例えば、「グループ全体の利益はX国の知財ライセンス会社に集約する」といったポリシーが存在する場合、輸入貨物の取引価格にはそのロイヤルティ構造が反映されているはずです。税関は、マスターファイルを参照することでこのポリシーを把握し、「輸入申告価格にロイヤルティが正しく加算されているか」を確認する材料を得ることができます。


ポリシーの把握が鍵です。


また、移転価格税制上の問題を回避するために、企業がグループ内の機能・リスク・資産の配置を変更する「事業再編(ビジネスリストラクチャリング)」を行うケースがあります。例えば、製造機能を海外子会社に移管したり、コミッショネアスキームを導入したりすると、輸入者の機能・リスク構造が変わり、それに伴って関税評価に用いる取引価格の根拠や評価方法も変わりえます。


通関業者の立場では、依頼人の組織再編や親会社グループの事業再編の動向を把握しておくことが、適切な関税評価方法の選択と輸入申告の正確性維持につながります。実務的には、依頼人の経理担当者・財務部門と定期的なコミュニケーションを持つことが有効です。


特に、連結総収入1,000億円以上の大規模多国籍企業グループの取引を扱う通関業者は、依頼人がマスターファイルの提出義務対象かどうかを把握したうえで、事業再編や移転価格ポリシー変更の情報を共有してもらう体制を構築しておくことを検討する価値があります。


関税評価の適切な申告は、通関業者の本質的な業務責任の一つです。移転価格という複雑な制度との交錯を理解することは、依頼人への付加価値提供と自社リスク管理の両面で意義があります。


参考:移転価格と関税評価の相互関係(EY Japan・TradeWatch)
EY Japan「TradeWatch 2023年 Issue 3 APAC:移転価格と関税評価の相互関係」(2024年2月)