「準拠法を日本法と書いたから、ウィーン売買条約は関係ない」と思っていると、仕入れた商品の10%が不良品でも代替品を請求できず、代金減額だけで泣き寝入りになります。
ウィーン売買条約(正式名称:国際物品売買契約に関する国際連合条約、英語略称 CISG)は、1980年にウィーンで採択され、1988年1月1日に発効した国際条約です。国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)が起草し、全101条にわたって国際的な物品売買契約の成立・当事者の権利義務を規定しています。
日本では長らく未加盟でしたが、2008年に締結手続きが完了し、2009年8月1日から国内でも効力が生じています(平成20年条約8号)。現時点(2025年8月)で締約国は97カ国に及び、米国・中国・韓国・ドイツ・フランス・イタリア・カナダ・オーストラリア・ロシアなど主要な貿易国がほぼ網羅されています。つまり日本企業が貿易取引を行う相手国のほとんどがCISG締約国である、と考えてよい状況です。
条約の基礎には「契約自由の原則」があります。規定の大部分は任意規定であり、当事者が合意すれば条約の全部または一部を排除・変更できる点が大きな特徴です(第6条)。一方で排除しなければ自動適用されるため、知らないまま契約を結ぶと「自分たちが意図していなかったルール」で争いが決まることがあります。これが関税・貿易実務に携わる人にとって特に重要なポイントです。
条約が規律する範囲は、①売買契約の成立、②売買契約から生じる売主・買主の権利義務の2点に限定されています(第4条)。契約の有効性や所有権の移転、CIF・FOBなどの貿易条件の解釈はCISGの範囲外であり、それらは引き続き国内法や別途合意したインコタームズなどが適用されます。つまりCISGが「何でも解決してくれる条約」ではない点も押さえておく必要があります。
参考:外務省によるウィーン売買条約(CISG)の日本語訳条文
外務省|国際物品売買契約に関する国際連合条約(ウィーン売買条約)日本語訳全文
CISGの適用条件は第1条に明確に定められており、「営業所が異なる国に所在する当事者間の物品売買契約」が基本的な対象です。ここで注意が必要なのは、国籍や契約の民事・商事的性質は適用の判断に関係しないという点(第1条第3項)。日本法人が海外の支社と契約している場合でも、「営業所が異なる国にある」という事実があれば適用対象になりえます。
具体的な適用パターンは2つあります。第一は、両当事者の国がいずれも締約国である場合(第1条第1項(a))で、この場合は契約書に何も書かなくても自動的にCISGが適用されます。第二は、国際私法の準則によって締約国の法が適用されると導かれる場合(第1条第1項(b))です。後者では、取引相手国が非締約国であっても、準拠法として日本法が選択されているとCISGが自動適用されるという意外な結果になります。
ここに実務上の大きな落とし穴があります。「準拠法を日本法とする」と契約書に書いても、それだけではCISGの適用排除にはなりません。日本国憲法第98条2項の解釈上、条約は国内法に優先するからです。CISG第6条に基づいて明示的に「この条約は適用しない(This Contract will NOT be governed by the United Nations Convention on Contracts for the International Sale of Goods.)」と英文で記載して初めて、CISGを排除したことになります。この点を知らずに「日本法準拠」とだけ書いた契約書を使い続けている貿易担当者は、今すぐ契約書の見直しが必要です。
一方で適用除外となる取引類型もあります。個人用・家族用・家庭用に購入された物品(いわゆる個人輸入)、競り売買、強制執行に基づく売買、有価証券・通貨の売買、船舶・航空機の売買、電気の売買などはCISGの適用外です(第2条)。また当事者間でインコタームズなどの国際慣習に従うことを合意している場合には、その慣習がCISGの規定に優先します(第9条)。適用範囲が広い条約だからこそ、「自分の取引が対象に入るかどうか」を最初に確認することが重要です。
参考:JETROによるCISGの締約国・適用順位の解説
JETRO|ウィーン売買条約の概要:日本(貿易・投資相談Q&A)
CISGと日本法は複数の重要な点で異なります。契約実務に直結する違いを整理しておくことは、国際取引でのトラブル回避に直接つながります。
まず契約の成立タイミングについて。日本民法ではかつて「承諾の通知を発した時(発信主義)」に契約が成立するとされていましたが(民法526条)、CISGでは「申込者に到達した時(到達主義)」です(第18条第2項)。この差は、輸出入の申込・承諾のやりとりで時差のある国際取引では特に影響が大きく、注意が必要です。
次に、売主の義務の広さという点でも違いがあります。CISGでは、物品の適合性について「契約書に明示された仕様への適合性」だけでなく、「契約締結時に売主に明示的・黙示的に知らされていた特定の目的への適合性」まで含みます(第35条)。つまり購入者が商品の使い道を口頭で伝えていた場合、その目的に合わない商品は「不適合品」とみなされる可能性があるということです。売主としてはこのリスクを回避するために、契約書上で「特定目的への適合保証は行わない」旨を明記することが求められます。
買主が取れる救済措置の種類も、日本法とCISGでは異なります。輸入品に不適合があった場合、CISGのもとでは損害賠償請求(第45条)、履行請求(第46条第1項)、代替品引渡請求(第46条第2項)、瑕疵修補請求(第46条第3項)、契約解除(第49条)、代金減額請求(第50条)と6種類の手段が選べます。ただし「代替品引渡請求」と「契約解除」は「重大な契約違反」がある場合に限定されています(第25条・第49条)。これは日本民法(改正後)とは異なり、細かい不適合では解除できないということです。この制限を知らないまま「不良品だから全量キャンセルする」と主張すると、法的に無効となるリスクがあります。
損害賠償の範囲も注目点です。CISGでは「得られるはずであった利益(逸失利益)の喪失」も賠償対象に含まれることが明記されています(第74条)。輸入した商品を転売できなかった場合の機会損失も請求できるわけで、これは日本の民法上の瑕疵担保責任だけを根拠にするよりも買主に有利な規定です。知ってると得する部分です。
参考:弁護士法人クラフトマンによるCISGの条項詳細解説
弁護士法人クラフトマン|ウィーン売買条約の個別の内容(契約成立・瑕疵・救済措置・損害賠償)
輸入業者が特に注意すべき規定がクレーム通知に関するものです。CISGでは「物品の不適合を発見し、または発見すべきであった時から合理的な期間内」に、不適合の性質を特定した通知を売主に行わなければなりません(第39条第1項)。この通知を怠ると、不適合を主張する権利を失います。
さらに重要なのが2年ルールです。不適合の通知は「物品が現実に交付された日から2年以内」に行わなければならないとされています(第39条第2項)。これは日本の商法(受領後「直ちに」検査・通知)と比べると大幅に長い期間です。買主にとってはクレームを出せる窓口が広いという意味で有利な規定ですが、売主側から見ると2年間クレームリスクを抱え続けることになります。
たとえて言えば、この2年間という期間は、国際郵便の速達扱いと通常便くらいの差があります。通常便(商法)なら届いた翌日に内容を確認して即座に連絡する義務があるのに対し、速達便(CISG)なら2年間ゆっくり中身を確かめてから問い合わせられる、というイメージです。輸入する立場なら圧倒的にCISGのほうが有利といえます。
実務上は、業界や商品によって品質保証期限を1年としている慣行も多く、CISGの2年ルールと慣行が食い違うケースが発生しています。売主側としては、契約書にクレーム提起期間を明示的に規定(例:「引渡し後6カ月以内」など)することで、CISGのデフォルトルールを上書きすることが可能です。この「上書き設計」こそが、CISGの任意規定という性質を最大限に活かした実務対応といえます。
なお、通知さえ行えばすべてのクレームが通るわけではありません。買主側には損害を軽減する義務(損害軽減義務)も課されており(第77条)、たとえば不適合品があった場合でも、それを別の買主に転売して損害を最小化する努力が必要です。転売できたにもかかわらずしなかった場合、その分の逸失利益は請求できなくなります。これは売主側の立場で考えると、買主が被害を大げさに主張してきた場合への有効な反論材料になります。
CISGを「単なる自動適用される法律」として受け身に捉えるのではなく、売主・買主それぞれの立場で能動的に設計に活用する、というのが本来あるべき実務姿勢です。この視点はまだ多くの中小輸入業者に浸透していません。
輸入業者(買主)として取引する場合、CISGは日本法よりも有利に働く規定が多いといえます。先述のクレーム2年ルール、逸失利益を含む損害賠償範囲、6種類の救済措置のバラエティ、これらはすべて買主側を保護する方向です。そのためCISGの適用を積極的に維持したまま交渉に臨む、という選択も合理的です。
一方、輸出業者(売主)として取引する場合は、CISGの適用を排除するか、クレーム期間の短縮・解除条件の厳格化など不利な規定を選択的に変更することを検討すべきです。契約書への明示的な排除条項の追加は、英語で数行書くだけで対応できます。排除条項の英文例(`This Contract will NOT be governed by the United Nations Convention on Contracts for the International Sale of Goods.`)は標準的なテンプレートとして活用できます。
また、CISGとインコタームズの関係も整理しておく必要があります。インコタームズはCISGに優先しますが、これは「インコタームズを採用すればCISGが全部排除される」ということではありません。インコタームズが規定しているのは危険の移転・費用負担・書類手配など貿易条件の解釈であり、契約成立・不適合品への救済措置などはCISGが引き続き適用されます。優先順位は①当事者間の合意(契約書・インコタームズ等の慣習)、②CISG、③国内法の順です。この層構造を理解していないと、「インコタームズを使っているから大丈夫」という誤解が生まれます。
さらに見落としがちな点として、契約書が存在しない取引でもCISGは適用されます。たとえばプロフォーマインボイス(Proforma Invoice)にバイヤーがカウンターサインしてFAX・メール送付する形で契約確認をしているケースは貿易実務では非常に多いですが、この場合でもCISGは裏面約款のように自動適用されます。契約書がないから安心とはなりません。むしろ契約書のないシンプルな取引ほど、CISGの規定がそのまま適用される可能性が高い点を意識してください。
中小の輸出入業者にとって、こうした条約の内容を一から調べて契約書に反映させるのはハードルが高い作業です。国際取引契約に詳しい弁護士や貿易アドバイザーに一度相談し、自社の標準契約書にCISGへの対応条項を組み込むことが、長期的なリスク管理として最もコストパフォーマンスが高い対策といえます。
参考:栗林総合法律事務所によるCISGの排除条項・適用範囲の解説
栗林総合法律事務所|国際物品売買契約に関する国連条約(CISG)の適用範囲・排除条項の詳細解説
参考:企業法務ナビによるウィーン売買条約と日本法の比較まとめ
企業法務ナビ|ウィーン売買条約規定と日本法の比較まとめ(契約成立・権利義務・救済方法)