日米貿易摩擦いつから始まり通関業務に影響したか

日米貿易摩擦は1970年代の繊維から2025年まで続く長期対立です。通関業務従事者にとって関税変更や輸入規制が何度も発生し、業務負担が増大してきました。あなたの業務にどんな影響があったのでしょうか?

日米貿易摩擦いつから始まったか

日米貿易摩擦で通関業務が複雑化しても書類は減りません。

📋 この記事で分かること
📅
摩擦の開始時期

1955年の繊維摩擦から2025年トランプ関税まで70年の歴史

⚖️
通関への影響

関税率変更・輸入規制・書類増加による業務負担の実態

🔍
各時代の特徴

繊維・鉄鋼・自動車・半導体と変遷した摩擦品目の詳細

日米貿易摩擦の最初は繊維産業1955年から


日米貿易摩擦の最初の火種は繊維製品でした。1955年から1972年にかけて、17年にも及ぶ長期交渉が続きました。アメリカは日本からの低価格・高品質な繊維輸出が自国の雇用と産業に打撃を与えているとして、執拗に数量規制を求めてきました。
参考)KON1082「日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税 …

1970年に日米繊維交渉が本格的に開始され、1972年に日米繊維協定が調印されました。この協定により、日本は繊維製品の輸出自主規制を受け入れることになりました。通関業務従事者にとって、この時期から輸出数量の管理や特定書類の提出が必要となり、業務が複雑化し始めました。
参考)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/tpp/pdfs/j_us_rekishi.pdf

繊維協定が締結されたことで、通関時に輸出数量証明書や割当証明書の確認作業が加わりました。これは通関業務の第一歩の変化です。
当時の通関業務では、品目ごとの割当数量を常に把握し、申告時に残枠を確認する作業が必須になりました。数量オーバーの場合は輸出そのものができないため、事前の調整作業に時間とコストがかかるようになりました。

日米貿易摩擦は1970年代に鉄鋼分野へ拡大

繊維に続いて、1970年代には鉄鋼が新たな摩擦の対象となりました。アメリカは1971年に貿易赤字に転じ、1980年代に入るとその赤字が増大し、日米の貿易摩擦も深刻化しました。1972年には日本が第二次鉄鋼自主輸出規制を実施しました。
参考)今だから聞ける日米貿易摩擦の深層~歴史を紐解き本質的原因を探…


アメリカは「トリガー価格制度」(TPM)を導入し、数量規制ではなくダンピング輸入防止の観点から価格規制に切り替えました。一定の基準価格(トリガー価格)を下回る輸入品には、ダンピング調査が自動的に開始される仕組みです。
参考)https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/prj/sbubble/history/history_01/analysis_01_01_04.pdf

価格規制が原則です。
通関業務従事者は、鉄鋼製品の輸出入申告時に価格が基準を満たしているかを確認する必要がありました。基準価格を下回る場合、追加のダンピング調査資料の提出や弁明書類の準備が求められ、通関が遅延するリスクが高まりました。鉄鋼関連の通関では、インボイス価格の算定根拠を詳細に説明できる準備が不可欠になったのです。

日米貿易摩擦は1980年代に自動車で激化した時期

1980年には全米自動車労組(UAW)などが通商法201条に基づき、急増する日本車の輸入制限を求めて米国際貿易委員会(ITC)への提訴に踏み切りました。日本側は1981年から自動車の輸出自主規制を開始し、当初は年間168万台、その後段階的に枠が拡大されました。
参考)日米自動車摩擦 1970年代から繰り返す歴史 - 日本経済新…


1995年にはクリントン政権の米通商代表部(USTR)代表が米通商法301条に基づき、日本市場の閉鎖性を理由にトヨタ自動車の「レクサス」など日本製高級車13車種の輸入に100%の関税を課すと発表しました。この措置は最終的には回避されましたが、日米間の緊張は極めて高まりました。​
通商法301条は劇薬です。
通関業務では、自動車の輸出数量を厳格に管理する必要がありました。輸出枠を超過すると通関が認められないため、事前に通産省(当時)への届出や割当証明書の取得が必須となりました。また、自動車メーカーは現地生産(ノックダウン生産)への移行を進めたため、通関業務の対象も完成車から部品へとシフトしました。部品の原産地証明や関税分類の精査など、新たな専門知識が求められるようになったのです。
参考)日米貿易摩擦 - Wikipedia

日米貿易摩擦は1980年代半導体分野でも発生

1985年になり、DRAMにおいて日米メーカの逆転が明確になりました。米国のIntel、Motorola、AMD、NSC、MOSTECなど従来のDRAMの覇者であった米系メーカが撤退するなど、日系メーカの影響が顕在化しました。この時期にMicronがDRAMで日本メーカを提訴し、SIA(米国半導体工業会)は日本製DRAMを通商法301条で提訴するに至りました。
参考)http://www.shmj.or.jp/museum2010/exhibi080.htm

1974年には米国通商法301条が制定され、外国政府の不公正行為に対抗して米国政府が報復措置をとる権限と手続きの規定が行われました。日本が過去の貿易摩擦の際に多くの苦しみを味わったのがこの301条です。当時、世界トップの技術を誇っていた日本の半導体産業の衰退に寄与したとされます。
参考)強すぎる米通商法301条 産業構造すら変える劇薬 - 日本経…


301条は産業構造を変えます。
通関業務では、半導体製品の輸出時にダンピング防止のための最低価格(フロアプライス)を遵守しているかの確認が必要でした。価格が基準を下回る場合、通関が保留されるだけでなく、企業に対する制裁金のリスクも生じました。また、半導体製造装置や関連部品の輸出入においても、技術流出防止の観点から輸出管理令に基づく許可申請が厳格化され、通関業務の負担が大幅に増加しました。

日米貿易摩擦は2025年トランプ関税で再燃した

2025年、トランプ大統領が再びホワイトハウスに戻ったことで、日米関係は新たな局面を迎えました。2025年3月12日、アメリカは日本を含む全ての国から輸入する鉄鋼とアルミニウムを対象に25%の関税を発動しました。また、日本車を含む25%の輸入自動車への関税も発動しました。
参考)80年代の「ジャパン・バッシング」を彷彿…再燃する「日米貿易…


4月5日には、日本への24%の関税を含む世界各国に対する基本一律10%の相互関税の第1弾がアメリカで発動されました。トランプ政権は通商政策において第1次政権時以上に急進的かつ制度外的な手法を採用し、国際経済秩序に深刻な揺らぎをもたらしました。
参考)(世界はトランプ関税にどう対応したか)第1回 総論——第2次…


厳しいところですね。
2025年7月22日、トランプ大統領は相互関税を15%に引き下げる「史上最大の取引」で日本と合意したと発表しました。日本車の関税も15%に引き下げられ、ミニマム・アクセスの枠内でコメ輸入枠を拡大することとなりました。複数のエコノミストは、15%の関税率なら世界経済も最悪事態を回避し、何とか乗り切れるという見方を示しました。
参考)焦点:日米関税合意で世界経済の最悪事態回避、今後の主要国交渉…


通関業務従事者にとって、2025年の関税変更は極めて大きな影響をもたらしました。関税率が短期間に複数回変更されたため、輸入申告時の税率適用タイミングの確認作業が煩雑化しました。また、自動車関連では原産地規則の厳格化により、原産地証明書の取得や部品のトレーサビリティ確認に膨大な時間がかかるようになりました。サプライチェーンの見直しを迫られる企業も多く、調達元の変更に伴う関税分類の再検討や新規取引先の信用調査など、通関業務の前段階での作業負担が急増しました。​
関税率の変動リスクに備えるには、通関システムのマスタデータを迅速に更新できる体制が必要です。事前教示制度(Advance Ruling)を活用して関税分類や原産地判定を事前に確定させておくことで、通関時の遅延リスクを低減できます。
税関の事前教示制度について(税関公式サイト)
通関業務の効率化に向けて、税関の事前教示制度を活用すれば、関税分類や税率の適用について事前に税関の見解を得られます。
日米貿易摩擦は1955年の繊維から2025年のトランプ関税まで、70年にわたり通関業務に影響を与え続けています。各時代で対象品目や規制手法は変化しましたが、通関業務従事者には常に最新の貿易政策を追跡し、適切な書類準備と申告手続きを行う高度な専門性が求められてきました。今後も貿易環境の変化に迅速に対応できる知識とスキルの維持が不可欠です。




日米関係の考え方: 貿易摩擦を生きて