APECは法的拘束力ゼロなのに、あなたの輸出コストを左右しています。
アジア太平洋経済協力の略称は「APEC」で、英語の正式名称「Asia-Pacific Economic Cooperation」の頭文字から成り立っています。読み方は「エイペック」が正式とされており、野村證券や恵泉女学園大学などの公式資料でも「えいぺっく」と表記されています。一方、三井住友DSアセットマネジメントの用語集では「えーぺっく」という読み方も掲載されており、実際のビジネス現場では両方の読み方が混在しているのが現状です。
「エイ」と「エー」、どちらでも通じます。
ただし、試験や公式文書では「エイペック」を使うのが無難です。外務省や経済産業省の公式資料はすべて「APEC(アジア太平洋経済協力)」という表記を統一して使用しています。正式名称に「会議」という語は含まれないことも知っておきましょう。「アジア太平洋経済協力会議」という表現は日本国内で慣用的に使われるものの、英語原文は"Cooperation"で終わっており、"Conference"は入りません。
これが意外に混乱のもとになります。
なぜ略称の話が関税に関係するのか、と思う方もいるかもしれません。APECを理解する第一歩は名称の意味を正確に把握することです。「Economic Cooperation(経済協力)」という名の通り、APECは経済全般の協力枠組みであり、関税の削減・撤廃はその中心課題の一つに位置づけられています。関税を扱うビジネスパーソンにとって、APECが何の略かを知ることは、貿易政策の大局を読む出発点になります。
野村證券 証券用語解説集「APEC」- 略称・読み方・法的拘束力なしの枠組みについて記載
APECは1989年、オーストラリアのボブ・ホーク首相の提唱によって発足しました。当初の参加国は、日本・アメリカ・カナダ・韓国・オーストラリア・ニュージーランド、そしてASEAN6か国(インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイ・ブルネイ)の計12か国でした。その後、段階的に拡大が続き、1991年に中国・台湾(チャイニーズ・タイペイ)・香港、1993年にメキシコ・パプアニューギニア、1994年にチリ、1998年にロシア・ベトナム・ペルーが加わり、現在の21か国・地域という構成になっています。
21エコノミーが基本です。
ここで特筆すべきなのが「エコノミー」という呼び方です。APECでは参加する国・地域を「国」ではなく「エコノミー」と呼ぶルールがあります。これは台湾(中華民国)や香港という、独立した主権国家とは認められていない地域が参加しているためです。APECの会合では参加エコノミーの国旗・国歌の使用が禁止されており、「参加」という語も「加盟」ではなく意図的に使い分けられています。こうした外交的配慮がなければ、中国が参加を拒否する可能性があったからです。
意外ですね。
現在のAPEC21エコノミーが世界経済に占める規模はまさに圧倒的です。世界のGDPの約60%、人口の約40%、貿易額の約50%をこの枠組みが占めています。日本にとっても、直接投資の約4割がAPECエコノミーとの間で行われており(国土交通省資料)、関税政策や貿易自由化の動向を読む上でAPECの動きは無視できません。
日本関税協会「アジア太平洋経済協力(APEC)」- 参加国・地域の構成と組織の仕組みを詳しく解説
APECと関税の関係を語る上で外せないのが「ボゴール目標」です。1994年、インドネシアのボゴールで開かれた首脳会議で採択されたこの宣言では、「先進国は2010年までに、途上国は2020年までに、域内の貿易・投資の自由化を達成する」ことが打ち出されました。関税の大幅引き下げ・撤廃を目指す、野心的な数値目標でした。
ところが、2020年になっても完全な達成はされませんでした。
APECには「法的拘束力がない」という根本的な特徴があります。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の資料には「APECは法的拘束力のある合意を交渉する場ではないとのコンセンサスがある」と明記されています。つまり、APECでどれだけ立派な宣言が採択されても、各国はそれに従う法的義務を負いません。関税削減の実施は、あくまで各エコノミーの「自発的な行動」に委ねられているのです。
つまりAPECの宣言は努力目標です。
この限界が現実に現れた事例が2018年のAPEC首脳会議(パプアニューギニア)です。米中貿易戦争が激化する中、1993年の首脳会議開始以来初めて「共同首脳宣言」が採択できないという事態に陥りました。APECが非公式の協議フォーラムである以上、対立が深まれば合意文書すら出せなくなります。
一方で、APECが下地を作ったことでFTA(自由貿易協定)交渉が加速した面も見逃せません。APECを通じた関税議論が各国の意識を高め、二国間・多国間のEPA・FTA締結につながったケースが多くあります。現在のTPP(CPTPP)の原型はAPEC加盟エコノミーであるニュージーランド・シンガポール・チリ・ブルネイが締結したP4協定です。
財務省「APEC(アジア太平洋経済協力)」- 関税局・税関のAPEC活動への参画と税関手続小委員会(SCCP)の役割を解説
APECは「関税をゼロにする協定」ではなく、あくまで「関税削減の方向性を議論するフォーラム」です。この区別が重要です。
実際に関税を下げる法的効力を持つのは、APECの場外で締結されるFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)です。ジェトロの2024年度調査によると、日本企業の輸出におけるFTA利用率は61.3%でした。つまり4割近くの企業がFTAを使っていないことになります。
利用できていない企業には損失が出ています。
なぜ利用率が低いのかというと、中小企業を中心に「制度や手続きを知らない」「輸出量が少なく費用対効果が見えにくい」という理由が多く挙がっています(JFIR調査報告書)。APEC加盟エコノミー向けの輸出では、CPTPPや日EU・EPA、RCEPなど複数の協定が重なっており、どれを使えばもっとも関税が低くなるかの判断が複雑です。
| 協定名 | 主な対象エコノミー | 関税撤廃率(品目数ベース) |
|---|---|---|
| CPTPP(TPP11) | 日本・カナダ・メキシコ・豪州・NZほか | 日本側:約99% |
| 日EU・EPA | EUとの貿易 | EU側:約99%、日本側:約94% |
| RCEP | ASEAN・中国・韓国・豪州・NZほか | 参加国間で段階的撤廃 |
APECが関税交渉の土台を作り、その上にFTAやEPAが構築されるという構造を理解することで、関税コストをどこで削減できるかを俯瞰的に判断できます。
具体的な税率確認は、ジェトロの「世界各国の関税率(World Tariff)」データベースで、HSコード別にEPA税率を調べられます。関税担当者がまず使うべきツールです。
ジェトロ「日本企業の輸出におけるEPA/FTA活用の現在地」- FTA利用率61.3%の最新データと未活用企業の課題を分析
APECには法的拘束力がないのに、なぜ一定の効果を上げてきたのでしょうか?
その答えが「ピア・プレッシャー(仲間からの圧力)」です。APECの文脈ではこれを「エコノミー間圧力」と呼ぶこともあります。法律で強制できない代わりに、首脳・閣僚が一堂に会する場で「うちの国はまだ関税を下げていない」という状態を公の場にさらされることで、各国が自主的に行動せざるを得ない空気が生まれます。
厳しいところですね。
この仕組みの興味深い点は、宣言への違反が制裁につながらない一方、何十年にもわたって継続することでじわじわと自由化を促してきた実績があることです。APECが1989年に発足してから、域内の平均関税率は大幅に低下しています。WTOのラウンド交渉が停滞する中でも、APECエコノミー間では着実にFTA・EPAの締結が進みました。
これが事実上の成果です。
一方、この「緩やかさ」が限界でもあります。農産品や繊維など一部品目では、各国の国内政治の壁を超えられず、関税が残り続けているケースが多くあります。APEC内輸入関税の試算では、全品目の関税撤廃を完全に実現した場合の経済効果は相当大きいとされていますが、現実には「品目数ベースの撤廃率は高くても、貿易額加重ベースの関税削減率はそれほど大きくない」という評価もあります(千葉大学研究紀要)。
実際に輸出入業務を担当している方にとって重要なのは、APECが「関税がゼロになる場所」ではなく、「関税削減の方向性が決まる場所」だということです。APECの首脳宣言や閣僚声明を定期的にチェックすることは、今後どの品目・どのエコノミーとの貿易で関税が下がりやすいかを先読みする情報源になります。
経済産業省「APEC(アジア太平洋経済協力)」- APECの枠組み概要と世界GDPの約半分を占める規模の解説
外務省「APECの歴史概観」- ボゴール宣言から現在までの主要な経緯を年表形式で確認できる