英国現代奴隷法の対象と通関業者が知るべき実務対応

英国現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015)の対象企業や声明義務の範囲は、日本の通関業従事者にも深く関係します。売上要件や域外適用の実態、2025年ガイダンス改定の影響まで、実務上の対応ポイントをわかりやすく解説。自社は本当に対象外といえますか?

英国現代奴隷法の対象と通関業者が押さえる実務ポイント

「うちは日本企業だから英国の法律は関係ない」と思っていると、取引先から突然コンプライアンス確認書が届いて焦ることになります。


この記事でわかること
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英国現代奴隷法の対象条件

年間売上高3,600万ポンド(約70億円)以上で英国で事業を行う組織が対象。日本法人であっても域外適用されるため、条件を満たせば声明公表義務が発生します。

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通関業者への間接的な影響

英国向け輸出を扱う取引先バイヤーがMSA対象企業の場合、通関業者はサプライチェーンの一部として調査対象になり得ます。英国向け案件では自社の対応状況を把握しておく必要があります。

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2025年ガイダンス改定の重要ポイント

2025年3月に英国政府が新ガイダンスを公表。「リスクゼロ」と書くだけの形式的な声明は最もNGな表現と明記され、開示水準が2段階(Level 1・Level 2)に引き上げられました。


英国現代奴隷法の対象となる企業の条件とは

英国現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015、以下MSA)は、2015年7月に施行されました。現代においても世界各地で続く強制労働・人身売買・奴隷労働に対処するために制定された英国法で、企業のサプライチェーンの透明性確保を中心的な柱としています。


MSA第54条では、以下の4つの要件をすべて満たす組織に対し、毎年「奴隷及び人身取引に関する声明(Modern Slavery Statement)」の公表を義務付けています。


  • ✅ 法人またはパートナーシップであること
  • ✅ 商品の供給またはサービスの提供を行っていること
  • ✅ 全世界の連結年間売上高が3,600万ポンド(約70億円)以上であること
  • ✅ 英国の一部において事業を遂行していること("carries on a business")


ここで特に注意が必要なのが、「全世界の連結売上高」という点です。英国事業単体の売上ではなく、親会社・子会社を含めたグループ全体の売上が基準になります。つまり英国売上は数%でも、グループ合算が70億円を超えれば対象になるということです。70億円というのは、中堅の製造業や商社ならあっさり超える規模感です。


また「英国で事業を遂行している」の解釈も広く取られています。英国に物理的な拠点がなくても、英国企業との継続的な直接契約や英国市場向けの定常的な輸出を行っている場合、「事業を遂行している」と見なされる可能性があるのです。これが通関業者や輸出関連企業にとって見落とせないポイントになります。


設立国は問われません。これが原則です。日本、米国、その他どの国の企業でも、条件を満たせばMSAの適用対象になります。英国に現地子会社や支社がある場合はもちろん対象ですが、それ以外でも注意が必要な場面が存在します。


声明を公表しなかった場合、英国国務大臣が高等法院に強制執行命令を申請でき、裁判所命令に従わないと法廷侮辱罪として無制限の罰金が科される可能性があります。つまりペナルティに上限がありません。「罰則が軽い」という認識は危険です。


参考:英国現代奴隷法の対象要件と声明公表義務の詳細については、JETROの調査レポートでわかりやすく解説されています。


英国現代奴隷法の最新動向と企業の対応(JETRO)


英国現代奴隷法の対象に通関業者が入るケースとは

通関業者やフォワーダーの多くは、「我々はサービス業だからMSAの直接的な対象ではない」と考えがちです。確かに、物品を製造・販売しているわけではないというイメージがあるからでしょう。しかし実際には、直接適用と間接的な影響の2つのルートでMSAが関係してきます。


まず直接適用のルートです。グループ全体の売上が3,600万ポンドを超え、英国で通関・物流サービスを提供している組織は、それが日本の親会社グループの一員であっても声明公表義務の対象となります。「サービスの提供」はMSAの対象要件に明記されています。通関業も「サービスの提供」に該当するということです。


次に間接的な影響です。英国向け輸出貨物を扱う荷主(輸出者)が、MSAの対象企業である場合、その企業はサプライチェーン全体の透明性を声明に記載する義務を負います。その際、物流・通関業者は荷主のサプライチェーンの一構成要素として、デュー・ディリジェンス(DD)調査の対象になり得ます。具体的には、荷主から「御社はMSAに関する方針を持っていますか?」「強制労働リスクへの対応状況を教えてください」といった確認書の提出を求められるケースが実際に発生しています。これは使えそうです。


さらに、英国の公共機関との取引もある場合はより厳しい対応が求められます。英国のNational Health Service(NHS)をはじめとする公的機関は、取引先に対してMSA対応のより具体的な証明を要求することが多く、取引継続の条件となるケースもあります。


サプライチェーン上の立場を整理するのが基本です。荷主とのやりとりの中でMSA関連の照会が来た場合に備え、自社の方針や取り組みを事前に文書化しておくことが実務的な対応になります。


参考:通関・物流企業の対応事例として、国際物流大手「日新」のMSA声明公表の実例が参考になります。


日新グループ統合報告書2024(英国現代奴隷法への対応記載あり)


英国現代奴隷法の対象外でも知っておくべき2025年ガイダンス改定の影響

2025年3月、英国政府はMSAのサプライチェーン透明性に関する公式ガイダンスを全面的に改定しました(2025年7月に一部更新)。このガイダンス改定は、直接の対象企業だけでなく、その取引先にも大きな影響を与えます。


今回の改定で最も重要な変化は、声明の開示基準が「Level 1(基礎的開示)」と「Level 2(発展的開示)」の2段階に整理されたことです。Level 1は初年度でも達成可能な最低基準として位置づけられており、Level 2は継続的改善を示すためのより包括的な目標水準になっています。


旧ガイダンスと比べると、その違いは明確です。従来は「当社のサプライチェーンには現代奴隷のリスクは確認されていません」という記述でも一定の声明として通っていました。しかし新ガイダンスでは、この表現を「最も避けるべき記述」として名指しで否定しています。英国政府の立場としては、「リスクを見つけられていないのは、十分に調べていないだけ」という考え方に転換しているのです。厳しいところですね。


実務上は、以下のような内容の開示が求められるようになりました。


  • 📌 サプライチェーンのマッピング:一次取引先(Tier 1)だけでなく、二次取引先(Tier 2)以降がどこまで把握できているか、その「限界」を率直に記述すること
  • 📌 デュー・ディリジェンスの実効性:問題を発見した場合の具体的な対応フローと、被害者救済のプロセスを記述すること
  • 📌 KPIによる進捗管理:研修の実施件数、監査の実施数など定量的な指標を示すこと(2022年の財務報告評議会調査ではKPIを開示していた企業はわずか39%)
  • 📌 前年比較:昨年度声明との変化・改善状況を示すこと


対象企業となる日本企業にとって、このガイダンス改定への対応は2025年4月1日以降の会計年度から事実上求められています。つまり2026年度の声明作成から新ガイダンスが影響してくる企業が多いということです。対象企業のビジネスパートナーである通関業者側も、取引先からの問い合わせが具体化・詳細化してくることを想定しておく必要があります。


参考:2025年ガイダンス改定の詳細と実務対応の解説。人権DDの担当者向けに丁寧に解説されています。


英国現代奴隷法の対象企業が作成する声明に書くべき6項目

MSA第54条が推奨する声明の記載項目は6つです。対象企業であれば実際にこれらの項目を声明に盛り込むことが求められます。通関業者としても、取引先がどのような情報を声明に記載しなければならないかを知っておくと、要求書類への対応がスムーズになります。







































項目 内容の概要 Level 2で特に求められること
① 組織構造・事業・サプライチェーン グループ構成、事業内容、調達・生産・流通の基本構造 Tier 2以降のサプライヤーの詳細マッピング、移住労働者の出身国・経由国
② 奴隷・人身取引に関するポリシー 人権方針、サプライヤー行動規範、採用手数料禁止方針 ILO条約等の国際基準との関係、経営層による監督体制の説明
③ デュー・ディリジェンスのプロセス サプライチェーン上のリスク特定・防止・軽減のステップ 労働者が直接利用できる苦情窓口の整備、問題発生時の救済対応の記述
④ リスクの評価と管理 現代奴隷リスクが高い領域の特定、評価・管理の手段 リスク評価の弱点を自ら開示し、改善KPIに基づく計画を示す
⑤ 取り組みの有効性指標 現代奴隷制防止の目標設定とKPI 業界特性を踏まえた短期・中期・長期の行動計画と進捗報告
⑥ 従業員向け研修・能力開発 従業員・調達担当者・経営層・サプライヤーへの研修 NGOや実体験者の知見を取り入れた研修内容の証拠提供


注目すべきなのは、6項目のうち④のリスク評価です。「リスクゼロ」という記述が新ガイダンスで明確に問題視された背景には、MSA施行後10年が経過しても「形式的な声明」が横行してきたという現実があります。英国議会や投資家からの批判が高まり、2024年10月には上院特別委員会が「MSAはもはや世界を牽引するレベルではなく、国際的な進展に遅れている」と指摘するレポートを発表しました。これが2025年のガイダンス全面刷新につながっています。


声明の公表期限は各社の会計年度末から6か月以内が推奨されています。また声明は取締役会の承認を受け、取締役が署名する必要があります。ウェブサイトのホームページ上の目立つ場所にリンクを掲載する義務もあります。これだけ覚えておけばOKです。


参考:MSAの法的解釈と日本企業の実務対応についての詳細は西村あさひ法律事務所のニューズレターが参考になります。


英国現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015)の最新動向(TMI総合法律事務所)


英国現代奴隷法の対象判定と通関実務での独自リスク:サプライチェーン上の「知らなかった」は通用しない

通関実務の現場で見落とされがちなのが、「書類上は問題ない」「法律上の義務がない」という認識と、取引先からの信頼リスクのギャップです。MSAの声明義務がない企業でも、取引先がMSA対象企業である場合、そのサプライチェーンのデュー・ディリジェンス対象となる可能性があります。


特に英国向け輸出案件において実際に起きているのが、荷主からのサプライヤーアンケートの送付です。アンケートの内容は「強制労働・児童労働に関する方針の有無」「サプライヤー管理体制の説明」「第三者監査の実施状況」などです。これらに回答できないと、取引候補から外れるケースもあります。意外ですね。


こうした状況に備えるために、通関業者として整備しておくべき最低限の対応ポイントを整理します。


  • 🔎 自社のMSA対象判定を確認する:グループ連結売上高が3,600万ポンド(約70億円)を超えているか、英国との事業上の関連性があるかを法務部門と連携して確認しておきましょう。
  • 📄 人権・強制労働に関する基本方針を文書化する:取引先からのアンケート対応のため、「当社は強制労働・児童労働を許容しない」という旨のポリシー文書を1枚用意しておくだけで対応スピードが格段に変わります。
  • 🔗 英国向け案件では荷主のMSA状況を確認しておく:荷主が声明公表義務を持つ企業かどうかを事前に確認することで、どの程度の情報開示が求められるかを見積もれます。
  • 📊 取引先からの要求書類を管理する:人権関連のアンケートや確認書は、受領・回答の記録を管理しておくことで、将来的な監査や取引拡大時にも役立てられます。


MSAは現時点では「声明の内容が悪い」ことへの直接的な民事罰がないとされています。しかし英国労働党政権は、推奨記載事項の義務化や、声明のオンラインレジストリ登録の義務化、さらには制裁導入に向けた議論を積極的に進めています。法改正のリスクは現実的なものになっています。


また、現在でも英国の取引先・政府機関・NGOが各社の声明を公開レジストリで検索・閲覧できる仕組みはすでに稼働しています。2021年3月に開設されたオンラインレジストリには、現在も日本企業の声明が登録されており、取引先や市民社会から内容を評価される環境になっています。「声明を出しているかどうか」だけでなく「内容の質」を問われる時代が来ているということです。


通関業者が直接MSAの対象でなくても、英国ビジネスを継続したいなら、人権デュー・ディリジェンスへの最低限の備えは今からしておくのが得策です。英国向けの輸出貨物の多い業者ほど、取引先の要求水準が上がっていく流れには早期に対応しておきたいところです。


参考:MSA対象企業一覧の検索や、各社の声明内容の閲覧が可能な英国政府の公式レジストリです(英語)。


英国政府 Modern Slavery Statement Registry(英国政府公式)