歯の治療で痛みが消えても、それは「侵害受容が解決した」だけで、患者の痛みが本当になくなったとは限りません。
侵害受容(nociception)とは、組織への実際の、または潜在的な傷害によって引き起こされる感覚信号の処理過程を指します。 重要なのは、「侵害受容」と「痛み(pain)」は厳密には別概念だという点です。国際疼痛学会(IASP)の定義では、痛みは「組織障害による純粋な感覚としての痛覚(侵害受容)」とは明確に区別されています。 psych.or(https://psych.or.jp/wp-content/uploads/2018/12/84-21-22.pdf)
歯科臨床において侵害受容性疼痛が重要なのは、虫歯・歯髄炎・歯周炎・歯根膜炎などの歯原性歯痛の大部分がこのカテゴリーに入るからです。 つまり「歯原性の痛み=侵害受容性疼痛」という理解が出発点となります。 dental-diamond(https://dental-diamond.jp/pages/glossary/%E4%BE%B5%E5%AE%B3%E5%8F%97%E5%AE%B9%E6%80%A7%E7%96%BC%E7%97%9B/)
侵害受容器は体の末梢組織に広く分布する自由神経終末です。有害な物理的・化学的・熱的刺激(これを「侵害刺激」と呼ぶ)が加わると活動電位が発生し、脊髄を経由して大脳へと伝達されます。 この概念は1932年にノーベル生理学・医学賞を受賞したサー・チャールズ・シェリントンが提唱しました。 歴史的根拠のある、基礎的かつ重要な知識です。 goto-medical(https://goto-medical.com/pain/)
| 項目 | 侵害受容性疼痛 | 神経障害性疼痛 |
|---|---|---|
| 原因の場所 | 末梢組織(歯・歯肉など) | 神経そのもの |
| 歯科との関係 | 歯髄炎・歯周炎など歯原性 | 三叉神経痛・神経障害性歯痛 |
| 原因除去後 | 痛みは治まる | 痛みが残ることがある |
| 主な治療 | 歯科処置(抜髄・抗炎症) | 抗うつ薬・抗てんかん薬など |
侵害受容の信号を脳へ伝える末梢神経には、主に2種類の線維が存在します。 Aδ線維(有髄)は伝導速度が速く、鋭い「ズキン」とした一次痛を伝えます。C線維(無髄)は伝導が遅く、じわっとした鈍い二次痛を担当します。 tanimurashika(https://www.tanimurashika.jp/dental/?p=4332)
歯科治療中に患者が「最初にキーンとした痛みが走って、その後じわじわと痛む」と表現するのは、この2線維の伝導速度の違いによるものです。 患者が感じる痛みの「2段階」はメカニズムとして説明できます。これは使えそうです。 komaidc(https://komaidc.jp/5vn58s/)
歯の痛みにおける侵害情報の伝達経路をまとめると以下の通りです。
特に歯科で重要なのは、口腔顔面領域の侵害情報が三叉神経を介して伝達される点で、脊髄ではなく脳幹(三叉神経脊髄路核)が中継点となります。 脊椎疾患と混同しやすい部分なので、注意が必要です。 orbit-cs(https://orbit-cs.net/jaob67/session-abstract/US11.pdf?=ver05)
侵害受容性疼痛と神経障害性疼痛を臨床で混同すると、治療が長期化・無効化するリスクがあります。 侵害受容性疼痛は「損傷や病気が起こった現場(歯・歯周組織)が原因」なので、その病巣が治癒すれば痛みも消失します。 原因を取り除けば解決する、というのが原則です。 nakamura-dc-kyoto(https://www.nakamura-dc-kyoto.com/blog/244/)
一方、神経障害性疼痛は「痛みの原因が神経自体にある」ため、いくら歯科処置を行っても改善しません。 神経障害性歯痛は非歯原性歯痛の一つで、除痛方法は歯髄炎や外傷などの侵害受容性疼痛に対する方法とはまったく異なります。 痛みが残る場合は別のアプローチが必要です。 shien.co(https://www.shien.co.jp/media/sample/s1/BK00238/pageindices/index6.html)
判別のための臨床的チェックポイントは次の通りです。
神経障害性疼痛が疑われる場合、抗うつ薬や抗てんかん薬などの薬物療法への切り替えを検討し、必要に応じてペインクリニックや口腔外科との連携を進めることが求められます。 早めに専門科への紹介を検討するのが得策です。 nakamura-dc-kyoto(https://www.nakamura-dc-kyoto.com/blog/244/)
歯科臨床で日常的に遭遇する侵害受容性疼痛の代表的な疾患を整理します。 歯髄炎では歯髄組織の炎症によってブラジキニン・プロスタグランジンなどの炎症性メディエーターが放出され、これが侵害受容器(自由神経終末)を直接刺激して痛みが生じます。 いわゆる「歯がズキズキする」の正体はこれです。 toutsu(https://www.toutsu.jp/ja-JP)
歯周炎における疼痛も同様に、歯周組織の炎症→炎症物質放出→侵害受容器の活性化というプロセスで発生します。 顎関節症もまた、関節や周囲筋肉の炎症・損傷が侵害受容器を刺激することで痛みが生じる侵害受容性疼痛の一形態です。 kosugi-sakamoto(https://kosugi-sakamoto.com/blog/%E7%97%9B%E3%81%BF%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E8%96%AC%E7%89%A9%E7%99%82%E6%B3%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/)
これらはいずれも原因病巣の治療(抗炎症・抜髄・歯周治療など)が有効です。 侵害受容性疼痛ならば原因治療が基本です。患者への説明においても「炎症が治まれば痛みは消える」という見通しを伝えることが、患者の不安軽減と治療継続のモチベーション維持につながります。 nakamura-dc-kyoto(https://www.nakamura-dc-kyoto.com/blog/244/)
2017年に国際疼痛学会が「痛覚変調性疼痛(nociplastic pain)」という新たな疼痛分類を公式に追加しました。 侵害受容性疼痛でも神経障害性疼痛でも説明のつかない痛みを担うこの概念は、日本語訳が定まったのが2021年とごく最近のことです。 意外ですね。 www5.famille.ne(http://www5.famille.ne.jp/~ekimae/sub7-352-15.html)
痛覚変調性疼痛は、中枢神経系の感作(central sensitization)によって生じる痛みで、明らかな組織損傷や神経損傷がなくても痛みが発生・持続します。歯科領域では、繰り返す歯科処置後も痛みが消えない患者や、慢性口腔顔面痛の一部がこのカテゴリーに相当する可能性があります。 ストレスや睡眠不足がセロトニン・βエンドルフィン量を低下させ、下行性疼痛抑制システムが機能低下することが原因の一つとされています。 nakamura-dc-kyoto(https://www.nakamura-dc-kyoto.com/blog/244/)
この痛覚変調性疼痛が疑われるケースに対しては、以下のアプローチが有効とされています。
歯科従事者として押さえておくべき視点は、「侵害受容性疼痛が解決してもなお痛みが続く患者には、第3の疼痛カテゴリーが存在する」という認識です。 3種類の疼痛分類が判断の軸になります。 www5.famille.ne(http://www5.famille.ne.jp/~ekimae/sub7-352-15.html)
参考リンク(侵害受容性疼痛の歯科臨床的分類・非歯原性歯痛との鑑別に関する専門情報)。
侵害受容性疼痛 - 歯科医療従事者向け専門用語解説(Dental Diamond)
参考リンク(口腔顔面領域の三叉神経を介した侵害受容伝達経路の詳細)。
中枢神経系による痛みの制御メカニズム(日本顎咬合学会)
参考リンク(歯内治療後の慢性痛・侵害受容性疼痛と神経因性疼痛の臨床的鑑別)。